ひとりごとを呟いている時の心理状態
僕はいつもあたまのなかにどうでもいい言葉が渦巻いていて、それはたいてい、意味の無い単語です。CMの言葉や童謡またはロックミュージックの歌詞や、好きな動物、好きなことに関する単語などです。何も考えていないときやリラックスしているときに、その意味の無い単語郡が口から出てきます。
仕事中や、友だちといる時はあまりそういう言葉が出ないように我慢していたり、もしくはそういう言葉が浮かばないくらい別のことを考えたりしています。
だけども、ひとりでいるときはいつも何かしら喋ってたり単語にもなっていない叫び声をあげているし、ここ数年は恋人の前でもそうなので「うるさいから黙って」とよく言われます。
ひとりごとを我慢するのは大変な苦痛を伴うストレスなのであまり我慢したくないんですが、うるさいっちゃうるさいし、ある種の恥ずかしさもあります。
「おとな」になれば、収まるかと思いきや、実家を出て以降年々ひどくなるばかりです。これはなんなんだろうか。やめたい。
そのために口を塞ぐんだと思う。お腹いっぱいです。
Twitterで思考を垂れ流すのが好きなんですが自分のアイコンがずらずら並ぶのはいや
僕は長文で思考を垂れ流すマンです。
高校時代からやっているブログがあるんですが、短い文章やその場で思ったことや日常的なことが書きたくてTwitterのアカウントも取得しました。結局あまりツイートはしてないんですが、なかなかTwitterは便利なので居座ってしまって、結局、思ったことを思ったままに書いていたら140文字におさまらなくて連続でたくさんツイートをしてしまうということが増えました。
いついかなる時でも好きな場所で好きなことを言いたい、とは思うのですが、ひとさまも見ているタイムラインに自分の顔がずらずらと並ぶのはちょっと恥ずかしかったので、新しくここでブログを始めました。
前のブログは、なんかもっと何かしら(少なくともこういうことじゃない)に使いたいので、ブログも「垢分け」というやつです。
僕はいつも、大きく分けて三つのことを考えています。
社会・文化のことと、
言語(日本語)のことと、
それから自分自身のことです。
あとひとつあった気がするんですが忘れました。何かしらあります。
そういう、思ったことを思ったままにTwitterに書いてしまったらアイコンがたくさん並ぶんだよなあということを書けたらいいな。
僕はやしち。よろしくね。