不安になると人の名前を呼ぶ

不安になると人の名前を呼ぶクセがある。

いつからあるのか自分でも分からない。少なくとも大学時代にはなかったと思う。2、3年前か、もう少し前か。

基本的に、不安になった時に呼ぶ人物の名前はたいてい家族の名前だ。呼ばれた家族は返事をするが、呼んだ僕には用事がない。僕にとっては悲鳴に近い、意味を持たない言葉なのだが、呼ばれた人にとっては自分の名前という最も意味を持つ言葉なので我ながら厄介だと思う。家族はたぶん、僕が無意味に彼らの名前を呼んでいることに薄々気づいている。僕が彼らの名前を呼んだ後になかなか用を言わないでると、イラついたような雰囲気を出す。ごめんとは思っているが、不安になると勝手に口から家族の名前が出る。名前を呼んでしまったあとは、何か用を頼んだり、唐突な雑談やジョークを言ったりして誤魔化す。誤魔化せてない時もたぶんたくさんある。

本当に用があって呼ぶことも当然あるので、オオカミ少年的になってしまわないか焦っている。「また意味もなく呼ばれた」と思われて、名前を呼んでも返事してくれなくなったり、嫌われたりしたらどうしようかと…………

 

無意味に人の名前を呼んでしまった時の不安は、たいてい、仕事で残してきたものが心配になってきただとか、過去にあった嫌なことを思い出しただとかで、そういうことを考えて考えて、胸の当たりがザワついて目の前が暗くなってきて、ワッとキャパシティを越えた時に人の名前を呼ぶ。すると呼ばれた人が返事をしてくれるので、嫌なことを考えていた思考が中断する。名前を呼んでしまったことの用事を後付けするための思考に切り替わるので不安が遠のく。僕としてはありがたいのだが、何度も呼ばれてる側はまあうざったいだろう。猫しかいない時は猫の名前すら呼ぶ。猫も返事をして寄ってきてくれるので。猫の名前だけ呼ぶようにしたらいいのだが、「呼びつけた用事を後付けする思考に切り替えたい」がたぶん無意識下にあるので、猫を呼ぶだけでは呼んだ用事を考える必要が無いから弱いのだ。猫は、「私を呼んだということは、撫でるということですね」と当然の顔をして頭を擦りつけてくる。

 

このクセは自分でも無くしたいと思っている。そろそろ家族に怒られそうで怖い。

家にいるのに「帰りたい」とぼやいてしまうのも、内容が同様のクセである。帰りたいと声に出してしまう時は、頭の中で仕事をしている。仕事をしているから帰りたい。

しかし5歳の人に、「おうちにいるときに、帰りたいって言わないで」と真顔で言われたことがあり、それ以降これは言わないようにかなり気をつけている。ゼロにはなっていないが、昔と比べると言わなくなってきたと思う。

「なんでもないときに、名前よばないで」とも既に言われているのだけど、これはまだ全然治っていない。