お家にずっといるのは暇だから

暇だから。

だいぶ前から体調を崩していて、家で横になっていることが多いです。昔は、メンタル面がやられて体調を崩すということもありましたが、体調が先に崩れてメンタルが死ぬというパターンもあるんだなと実感しています。暇だと、本当に色々なことを考えるのですが、僕が生まれつき屈折したにんげんだからなのか、マイナスな思考のほうが割合が高い。

 

土曜日から1週間、自宅安静の指示が出て、今日(水曜日)まで本当に1歩も外に出ていないし、娯楽という娯楽も特に楽しんでないのですが、お医者さんに「外に出ちゃダメ」とハッキリ言われたほうが、「体調キツイから休もう…」と自分の判断で会社を休むより断然気持ちがラクで、自宅安静になってからはあまり憂鬱な気持ちになりません。結局は、先週までメンタルが落ち込んでいたのは、単に“体調がキツくて家でじっとしないといけなかったから”ではなく、自己判断で体調が悪いと決めて会社を休むという行為に罪悪感があったからなんだなと思います。実際問題体調が悪いんだからドクターストップがかかるまでもなく罪悪感を抱かずに休めばよかったのに。そういう勝手な罪悪感が鬱に繋がるんだよな、ってわかっちゃいるし実際落ち込んでたけど、何年経っても学習しないものだ。

 

土曜日からは、心穏やかではあるがやっぱり暇なので、色々と考えることはやめていない。

マイナスな想像はしなくなったのですが、かといってポジティブに現在や未来を考えているわけでもなく、ムズカシイお勉強や世間のことを考えているわけでもなく、映画や小説のことを考えているわけでもなく、楽しいことも含めてなんだかややこしいことを考えるのが全部面倒くさくなってしまって、数分後には何考えてたか忘れるような、どうでもいいことばかり考えています。

 

Twitterでパッと目に付いた他人のツイートのことについてチラッと考えて自分の考察を書いてみたり、ネット掲示板で目にした書き込みに適当にレスつけたり、そういうアホな廃人みたいになっている自分自身について、ぼんやりと「退屈だなあ」と思うのが最近の思考回路です。

この「退屈だなあ」という気持ちには、別にツライとかしんどいとかいう意味合いは込められてなく、ただ本当に感情が抜け落ちてしまっているという感覚がするので、「そりゃまずいかな」という危機感をようやっと自宅安静4日目にして抱いたので、何かしら自分の気持ちを書いておこうと思いました。別段、誰も読まなくていいとは思ったんですが、自己顕示欲は強いのでTwitterとリンクさせておきますね。というより僕の記事はたいてい、誰も読まなくていいものです。誰も読まなくていいようなものを書いて露見したくなるのが僕の性癖です。

 

この自宅安静期間中に、もっと有意義なことを……やろうと思えばできるんですけど。

映画レビューアフィブログな。作る作ると言っていつまでも放置しています。サイト編集のログインIDもう忘れてしまったんですけど。

詩作だってできるし、家の中のいらないものを整理してネットフリマで売ることもできるし、カードゲームのデッキ構築の構想だってできる…。でもそういうことしないのは、前述の通り、小難しいことを考えるのが面倒になっているからです。脳みそがスカスカになっている気がする。現状、「そういうことをしなくても生きていける」という状況だからなのか…毎日とりあえず飲食と排便と睡眠だけして、ひたすら「生きる」という行為だけでいいかなと思ってしまう。

 

僕は思春期のころから根暗で、心療内科にかかったこともありますが引きこもりになったことはありません。今の状況も厳密には引きこもりではないと思うんですが、「引きこもりの心理ってこういうものかしら」とちょっとだけ思ってます。この考え方が間違ってて、引きこもりのかたに不快感を与えたら申し訳ないです。

 

せっかくだから、仕事もない自由時間を満喫したい。自宅安静期間、あと3日しかないんですが、どうにか無気力と戦って有意義に過ごしたいです。