「東北で良かった」発言と、僕のばあちゃんの闇

真面目な話をします🤔

 

今村復興相が、震災が起きたのが(首都圏ではなく)東北で良かった、と言った旨が非難され、話題になっているところですね。

僕も、「首都圏だと経済損失が今より大きかったと言いたかったにしても、「良かった」なんて言葉のチョイスはあまりにも不適切だし、良くはねーよって感じだし、思いやりに欠けすぎている」と批判的な気持ちを持っていますが、それはさておきこのニュースでふと思い出したのが震災当時の祖母の発言でした。

 

僕の家系は先祖代々から沖縄県民で(遠く遡ればシンガポールの血も混じってるけどどうでもいいですね)、僕の祖父母世代は沖縄戦経験者です。

僕はめちゃくちゃ左翼思想なんですけど、左翼思想になったのは祖父が亡くなってからです。それまでは沖縄県内の小中学校にありがちな平和教育に辟易としており、祖父が亡くなる前までは、「そりゃあ戦争は体験しないに越したことはないけど、避けられない時は避けられないし、悪い国がいる限りは戦争が必要悪になることもある」という考えでした。

祖父は70代になったばかりで亡くなるというそこそこの早死にでしたが、死因は栄養失調でした。祖父は大変太っていたので、かなり疑問に思ったのを覚えています。

亡くなったのが僕が中学生のころだったので詳しく医学的なことは聞かされませんでしたが、要点だけを聞くと、戦時中にお腹に受けた鉄砲玉が体内に残っており、老後に限らず、戦後からずっと、栄養がうまく回っていなかったそうです。祖父は大食いでとても太ってましたが、年をとって、咀嚼が下手になったり内臓の機能が落ちたりしてきてから、この「鉄砲玉のせいで栄養がうまく回らない」ことの弊害が表れてきたのかと思います。

それだけでも僕が戦争ってやだな~と思うには充分でしたが、それよりも怖かったのは、祖父の体調不良にともなってあらわれてきた戦争トラウマ(PTSD)でした。戦争トラウマは全世界の戦争体験者に頻繁に起こるPTSDですが、祖父も亡くなる直前まで、PTSDによる酷いフラッシュバックに苦しめられました。

晩年の祖父には周りの景色が戦場に見え、家族である妻や子どもたちや孫たちが、みんな敵に見えてしまい、毎日叫び声や怒鳴り声をあげ、本気の力で殴りかかってくるようになりました。なので僕たち孫は、祖父に会いに行くことを禁止されました。一度だけ祖父のその姿を見たことがありますが、「これが老人かよ」という力で暴れ、「お前ら殺してやる!」という内容のことを方言で大声で喚き、伯父たちや父親といった複数人の大人の男性が力ずくでもやっとという感じで押さえ込み、祖母と母は泣き、といった地獄絵図のような風景に戸惑い、僕のほうがトラウマになるかと思いました(実際トラウマになってます)。

それ以降、母が、もうおじいちゃんのお見舞いに行くのやめようねと言った時にも迷いなく承諾し、3~4ヶ月ほど会わないでいた後に亡くなりました。亡くなった直前まで病院で同じようにPTSDを発症していたので、僕たち孫は看取りに行かせてもらえませんでした。

優しかった祖父が…と悲しくなったのはもちろん、祖父自身が穏やかな死に方ではなかったこと……家族に見守られて逝ったのに本人の脳内は戦場にあり、敵に囲まれながら死んでしまったということが悲しくて仕方がなかったです。戦争はとうの昔に終わったのに、こんな平成の世に戦場でひとりで、戦後の幸せな思い出を何一つ思い出せないまま死んでしまった祖父の寂しさや恐怖を思うと、とてもじゃないけど口が裂けても「戦争は必要悪」とは言えなくなってしまい、僕は左翼になりました。

 

本題に戻るんですが、僕ですらそうなので、戦争体験者であり、かつ夫が戦争のせいでこんなふうにしか死ねなかったことに怒りを感じている祖母はそうとうな思想の偏りがあります。

これから、本土に住むかたに「沖縄の老人っていやな性格してるな」と思われても仕方がないことを書きますが、飽くまでも僕の祖母の場合として思ってほしいです。

 

祖母は、祖父が亡くなる前から「ないちゃー(本土のひと)」がそこそこ嫌いでした。本土の日本人のせいで戦争が起き、沖縄がそれに巻き込まれたという考えで、まあそう思っている沖縄のご老人は少なくないかもしれません。でもそれはそんな大きな恨みではなくて悪いのは政治家と軍人だったという意識はあり、2人の娘(僕から見て伯母)が本土の男性と結婚することを許し、伯母たちが本土で暮らすことにも、まったく反対していませんでした。

ですが祖父が亡くなってから、祖母はかなりおかしくなってしまい、本土への恨み節が強くなり、テレビを見ていても政治ニュースだけでなくバラエティなどでも本土の人に文句を言うようになりました。どんな面白い話からも絶対沖縄戦に関連付け、「本土人は許せない」と言います。こじつけに近いので、はいはいといつもは流します。

 

そんな様子だった祖母は、東北大震災があった時に、「良かったね」と言いました。その文脈は、今回の今村復興相とはまったく違います。「本土に罰が当たったんだ。良かった」と言っていました。

僕には東北にも友だちがいたし、関東にも被害がありましたがその関東には祖母の娘である伯母たちも住んでるし、僕の妹はちょうど災害時に東京に修学旅行に行っていて、電波障害で連絡が取れなくなっていた時でした。

僕は祖母が「大震災があって良かった」と言ったのを聞いて、かなりギョッとしましたし、なんとなく精神的ダメージを受けました。東北・関東の友だちや親戚や妹、また亡くなってしまった見ず知らずの人のために怒りも湧きました。一緒にいた母がすぐに祖母の発言を叱りましたが、祖母は反省する様子がなく、「だって本土人はあんなに沖縄県民を殺したのに…。その分本土人が死んで元が取れる」とブツブツ言っていました。

そういうふうに考える祖母はどう考えてもおかしいし何も正しくないのですが、左翼思想の僕は「戦争が祖母をこんなふうにしてしまった」とやはり戦争のせいだと思っています。

震災で誰かが亡くなり本土に大きな被害があっても、沖縄戦とは何も関係がないです。それでも「本土で大震災があって(人が亡くなって)良かった」と言う祖母の狂った思考回路は…何がどうしてそういう考えになってしまうのか…どうしてばあちゃんはそんなことを言ってしまうのか…と原因を想像するのは、まぁ簡単なことですよね。

祖母にはこの件でかなり腹が立ちましたが、そういうドライな感情になってしまった鬼畜のような祖母を思うと、悲しくもあります。余談なんですが祖母はキリスト教徒ですが、神様にお祈りする時に時々、本土の不幸を祈っています(僕も同じくキリスト教徒なんですが、キリスト教としてその祈りはもちろん間違っています)

 

今回のニュースで、この時の祖母の発言を思い出したのでブログに書いておこうと思いました。あの時、「震災が起こって良かった」と言った祖母は、今村復興相の発言やそれが叩かれている様子を受けて何を思うのか?…と思ったのですが、祖母は最近から認知症を発症してしまい、あまりテレビや新聞を見ていないのでこのニュースを知らないと思います。

まあまあ、文脈も、発言に至る背景も、彼と祖母とでは全く違うのですが、どちらも許せる発言ではないですね。震災なんて、起きなくて済むものならどこにも起こらないでほしいものです。