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「性別」と「好み」と「押し付け」について

僕です。

僕のTwitterのフォロワーさんのお話で、ちょっと思ったことがあったので、僕が考えたことだけど割と当たり前でみんな普通に思っているであろうことを書こうと思います。

考えるきっかけとなったフォロワーさんのお話の詳細はまあ彼女のものであるので勝手にはお話できませんが、要するに、「女性は女性らしいものを好きであるべきだ」と男性から言われたという旨の話でした。

 

もちろんそれは、未だにそんなことを言う僕より若い若者がいるのかもう2017年明けたぞと驚くくらいには偏見に満ち溢れているわけですが、それとは別件で、真逆なようで同様のセリフである、「お前いつもジェンダーがどうのこうの言ってるくせに男or女っぽいもの好きじゃん、矛盾してない?」も腹が立つものです。

 

女の子は必ずピンクや恋愛モノが好きでなければいけない、男の子は必ず青やサッカーが好きでなければいけない、というような「必ず」は存在しないのですが、かといって、ふだんジェンダーが~と言っているひとがいわゆる「男っぽい(女っぽい)」ものを好きになったら駄目だとも決まってもいないのです。当たり前だけど…。

 

そもそも、ジェンダー論とはなにか?ということをわかっていないひとは、ジェンダー論をとなえる一部女性やセクシャルマイノリティのひとたちが何に怒っているのかを根本的に理解していません。

だから、女性が「女らしさを押し付けるな」と言ったり、女性になりたい男性が「男を強制しないでほしい」と言ったとき、ジェンダーに不自由していないひとがそれを聞いたら、仮にその言葉自体は理解できたとしても、「あれ?でもそう言ってるけど〇〇ちゃん、お化粧バッチリしてるよね?女らしく見られたいってことでしょ」だとか、「だけど〇〇くん特撮番組好きじゃん、ちゃんと(←謎)男の子らしいよ」と言われるわけです。

 

このタイトルでこの記事を読もうかなと思うようなひとはたぶん100%わかってると思うけど、僕たちが困っているのは、外部から「らしさ」や「こうするべき」を押し付けられることの窮屈さです。個人の内々の趣味や好みの話はまったく関係ないですよね。自分個人の趣味が、世間が枠組みに入れた「男らしさ/女らしさ」と一致してたって困らないわけです、だって趣味だもの…好きなんだもの困らないよ…。

でも好きでもないものについては、「あなたは男だから/女だから、これ好きだよね?」という理由で押し付けられても困るという話なのです。だって好きじゃないんだもの…。男だから好きでしょってなに…僕が好きなものください…ってなるじゃんな。

 

そして僕は、どうしてこういう「押し付け」……というか、押し付けてる側はだってそうでしょっていう悪気のなさから言ってるわけだから「勘違い」になるんだけど、とりあえずどうしてこういうすれ違いが起きてしまうのかを会社の帰宅途中に考えた。

 

僕たちの社会には、いつからかはわからないけれど、「男の子の文化」「女の子の文化」というものがすでに出来上がっています。時代によって内容の変化はあるものの、その時代その時代でちゃんとその文化はきれいに分かれています。将来的にはもしかしたら性差による文化の区分は無くなったりするかもしれないけど、とりあえず今はまだ、「男の子の文化」「女の子の文化」に分かれています。性差を否定するひとがどんなにがんばって活動してても残念ながら二分されています。

その2つの文化の違いは、日朝のアニメや特撮のあいまに流れるCMにも、トイザらスのコーナー別のカラー(物理的な意味でも抽象的な意味でも)にもハッキリとあらわれており、幼少期から僕たちの「好み」に大きな影響を与えます。ヒーロー番組の後に流れるオモチャのCMやヒーローグッズのパッケージには男の子が、プリキュアの変身アイテムやお人形の箱には女の子が映っています。そして僕たちは、幼少期にはまあたいていは自分の性認識が体の性と一致しがち(そうじゃない子もいます)なので、「僕は男の子だから仮面ライダーが好きだ」「私は女の子だからプリキュアが好きだ」という暗示にかかりやすいのかと思います。親(特に母親)の影響も強く出そうですね。親が、「〇〇ちゃんには(女の子だから)プリキュアの変身セットを買ってあげるね」と言って「女の子の文化」圏のものを与え続けていれば、その子は一般的にいうところの「女の子らしいものが〝ちゃんと〟好きな女の子」に成長するわけです。(時に、そういうのを「同性の親」が過剰に与え続けていると、その子どもは物心がついたころに強い反発心を持って真逆の趣味に走りたくなるような傾向があるんじゃないかと僕は思ってるんだけどそれは僕の想像なので置いといて)僕の話をしますね。僕は僕の話が大好きなので。

 

僕は幼少期、オーレンジャーセーラームーンも大好きでした。オーレンジャーは絶対レッドをやりたくて保育園では毎日「今日は誰がレッドをやるか戦争」に参戦していたし、セーラームーンはグッズをほとんど全部買ってもらいました。僕の家庭の場合、ちょっと母親がおかしかったんじゃないかと思います。僕が小学校4年生くらいの時に知ることになるんだが、僕の母は、宝塚と「薔薇」と「百合」が好きなひとでした。たぶん、時代的にそういうのが流行ってた世代だったんだと思います。母親が少女時代に流行った少女漫画ではちょうど、「おてんばな女の子」や「破天荒な女の子」が主人公になりがちで、女だから、しおらしくおしとやかに、というのがちょっとダサいっていう時期だったかと。

だからなのか、ぼくは母親に、ぼくの性別に関して「らしさ」を押し付けられたことがあまりありません。(全くゼロではないです)

 

たぶん僕の母と同世代の親でそういうシュミだったひとはたくさんいて、その子どもたちがだいたい僕と同世代なわけなんですけど、僕みたいに特に性差を親からは押し付けられなかったなーという脳天気な子どもは多いんじゃないかと思います。そしてそういうシュミのマンガを読まなかった親御さんの子どもたちも、性が多様化していく子どもたちの中にいながら自分の性や親から押し付けられる性差について自発的に疑問を持っていったから今の20代~30代を中心にジェンダーの話題が頻繁に浮上しているのではとか妄想したり。それは本題じゃないから置いといて。

 

話はかなり前に戻るんですけど、そんなこんなでも「男の子の文化」「女の子の文化」はあって、親に性差を押し付けられなかったような僕でもその文化には充てられました。みんな充てられると思う。親が、じゃなくても、もっと考え方が古い祖父母だったり、親戚だったり、「〇〇ちゃんは女の子らしくて可愛いね~」なんて言う近所のオバサンだったり、学校の先生だったり、ランドセルやお名前シールの色だったり、学校で友だち付き合いするうえでの共通テーマとしてあがったりで、ありとあらゆるところで「男の子の文化」「女の子の文化」への強制参加イベントがあります。

その中で、違和感を特に覚えずそれが「男(または女)らしい」と信じて成長していく者もいれば、押し付けられてるようで窮屈だなと思いながら成長していく者もいれば、「そもそも自分が思っている心の性と周りが認識している性が全然違うんですけど」と悩む者もいる。

子どもたちはいろんなタイプに分かれていくわけだけど、どんなタイプの子だって必ず、避けられなかった「男の子の文化」「女の子の文化」の道は通ってきています。だからその文化の中から、自分が好きなものを見つけたって不自然じゃない。

心は男の子(生物学上の女の子)が、通ってきた「女の子の文化」の中からセーラームーンを選びとったとしても、「お前、心は男なんじゃないのかよ!」「心が男なんてホントは嘘なんじゃないの?」とバカにされるいわれはないんじゃないですか?

そういう子が「自分は男になりたいから、女の子っぽいものは捨てなきゃいけない…」といって好きなものを心の奥に仕舞うとき、「体も心も男の子」が女の子っぽい趣味を捨てなきゃといって捨てるのと同じ現象が起きています。

 

どんな性自認のひとだって、自分が好きなものを我慢する必要はないんじゃないかな…それは「自分の好み」であって、もう、「男の子の文化」「女の子の文化」という大枠の枠組みから選び抜き取ったものだよな…

 

だから、「女らしさを押し付けるな」という女性がバッチリお化粧してたって矛盾してないし、「男を強制しないで」という男性がガンプラ組んで遊んでたって矛盾していないし、その一方で、赤の他人が自分の好みじゃないのに「お前は女だから恋愛映画見ろよ」と決めつけるのは大きなお世話でしかないという結論になるんだよ。

 

なんかごちゃごちゃと書いてしまったけど、本当はこんなごちゃごちゃと書くまでもなくシンプルで当たり前な「ただの好み」の話なのに、性差が絡むとどうしてこうもややこしくなってしまうのか。ややこしく「ただの好み」にちゃちゃを入れてくるひとがいるのか。もう2017年になって5日も経ったぞ。いい加減ジェンダーフリーになってほしい。とかそういうことを思っています。昨日しぶんぎ座流星群見た?ぼくの地元曇ってたから諦めたよ。