不安になると人の名前を呼ぶ

不安になると人の名前を呼ぶクセがある。

いつからあるのか自分でも分からない。少なくとも大学時代にはなかったと思う。2、3年前か、もう少し前か。

基本的に、不安になった時に呼ぶ人物の名前はたいてい家族の名前だ。呼ばれた家族は返事をするが、呼んだ僕には用事がない。僕にとっては悲鳴に近い、意味を持たない言葉なのだが、呼ばれた人にとっては自分の名前という最も意味を持つ言葉なので我ながら厄介だと思う。家族はたぶん、僕が無意味に彼らの名前を呼んでいることに薄々気づいている。僕が彼らの名前を呼んだ後になかなか用を言わないでると、イラついたような雰囲気を出す。ごめんとは思っているが、不安になると勝手に口から家族の名前が出る。名前を呼んでしまったあとは、何か用を頼んだり、唐突な雑談やジョークを言ったりして誤魔化す。誤魔化せてない時もたぶんたくさんある。

本当に用があって呼ぶことも当然あるので、オオカミ少年的になってしまわないか焦っている。「また意味もなく呼ばれた」と思われて、名前を呼んでも返事してくれなくなったり、嫌われたりしたらどうしようかと…………

 

無意味に人の名前を呼んでしまった時の不安は、たいてい、仕事で残してきたものが心配になってきただとか、過去にあった嫌なことを思い出しただとかで、そういうことを考えて考えて、胸の当たりがザワついて目の前が暗くなってきて、ワッとキャパシティを越えた時に人の名前を呼ぶ。すると呼ばれた人が返事をしてくれるので、嫌なことを考えていた思考が中断する。名前を呼んでしまったことの用事を後付けするための思考に切り替わるので不安が遠のく。僕としてはありがたいのだが、何度も呼ばれてる側はまあうざったいだろう。猫しかいない時は猫の名前すら呼ぶ。猫も返事をして寄ってきてくれるので。猫の名前だけ呼ぶようにしたらいいのだが、「呼びつけた用事を後付けする思考に切り替えたい」がたぶん無意識下にあるので、猫を呼ぶだけでは呼んだ用事を考える必要が無いから弱いのだ。猫は、「私を呼んだということは、撫でるということですね」と当然の顔をして頭を擦りつけてくる。

 

このクセは自分でも無くしたいと思っている。そろそろ家族に怒られそうで怖い。

家にいるのに「帰りたい」とぼやいてしまうのも、内容が同様のクセである。帰りたいと声に出してしまう時は、頭の中で仕事をしている。仕事をしているから帰りたい。

しかし5歳の人に、「おうちにいるときに、帰りたいって言わないで」と真顔で言われたことがあり、それ以降これは言わないようにかなり気をつけている。ゼロにはなっていないが、昔と比べると言わなくなってきたと思う。

「なんでもないときに、名前よばないで」とも既に言われているのだけど、これはまだ全然治っていない。

 

 

インフルエンザの時に見る夢

簡単にアイデンティティが揺らぐ。数時間のあいだに男子高校生になった。自分を取り戻すのに時間がかかる。怖い

ハッッッッッッッ僕は一体何を…………?となった。寝てたわけではないけど寝ていたのかもしれない。家族のことはすぐに思い出し、仕事はぼんやり、Twitterのこともぼんやり、趣味のこともぼんやり……さっきまで男子高校生だった頃の、好きな女の子のこととか、学校のこととか、交友関係のこととか、流行りのゲームのこととか、やましいくせに童貞だから微妙に慎ましい妄想かのほうがまだこびりついていて、よくよく考えたら自分はいま中年にさしかかっているところだしっかりしろ……と叱咤をしました。こわ、怖い……どうしてこんなことに……どうして……どうして僕は男子高校生じゃないんだろう……怖い……

 

時々未練みたいなものに背中を刺されるじゃないですか。完全に捨ててきたと思ったのに。それでもふとしたきっかけで未練が再び現れて、ころしてやるー!て、理想になれなかった僕を滅多刺しにしていく。僕は、別に、今のままでもいいけど……10代のころに思ってたより何倍も幸福だし、どうして刺されないといけなかったんだろう。仕事がそんなに嫌なのか、そんなに制服デートがしたかったのか、わからないけど……夢って怖いな。

僕と映画と父の話

ジム・キャリーの引退の話は、思ってた以上に衝撃を受けた。家にもいくつか彼の主演映画のDVDがあるくらいには好きだ。彼にはヨボヨボになるまで俳優でいてもらって、映画の撮影の最中にくたばってほしかった。まあ、そんなファンに人生を搾取されることを願われるのは可哀想だ。彼が望むとおりに静かな生活を送ってほしい。

 

話は変わるが、僕の父は映画が好きだった。休みの日はいつもテレビに映画を映していた。だから僕は映画が嫌いだった。友達は誰も映画を見ないので、映画なんか見ても友達との会話のネタにならないから何の糧にもならないと思った。父が映画を流している時間に、アニメのビデオが見たかった。僕が小学生の頃はあまり娯楽もないので、父が映画を流している間はポケモンのゲームをするか、それにも飽きたら仕方なく父の横で映画を見るしかなかった。ほとんどポケモンをしていたので見てなかったが。

そんなガキでも「これは面白かったな」と思える映画がいくつかあった。ジュラシックパークと、ジュマンジタイタニック、それからマスクとか。マスクは本当に面白いと思った。よく家族でレンタルビデオ屋にビデオを借りに行き、父は映画を借り、僕はアニメと特撮ばっかり借りてたが、初めて洋画を自ら進んで借りたのがマスクだった。初めてテレビで見て以降、ビデオでも何回も見た。小学生の頃にハマってた時期以降は全く見てないのだが、今でもいくつかのシーンを思い出せる。

マスク2を借りた時に、主演の男が変わっていたので子供ながらに面白くないと思った。マスクを面白いと思ったのはジム・キャリーだったからかもしれない。単純にマスク2が駄作だったかもしれんが。

 

思い出すきっかけはジム・キャリーだったが、ジム・キャリーと僕の思い出を書きたいんではない。僕は、ベン・スティラーを勝手にポスト・ジム・キャリーだと思っているので、ジム・キャリーの思い出を振り返っている時にベン・スティラーの思い出もついてきた。

僕は大学に入るまでずっと映画が嫌いだったので、アニメか特撮の映画を見る時か、好きだった女の子に誘われた時だけ映画館に行った。ハリーポッターは原作が好きだったが、ハリーポッターですら映画で見るのはダルいと思った。まあ今でもハリーポッターの映画は言うほど優秀なデキではないと個人的に思っているが。それはそれとして。

高校生の時に、何がきっかけだったか本当に忘れてしまったけど、ひとりで映画を見に行くことにした。受験生の頃だった気がするから、受験の面接時に「好きな小説は?」みたいな感じで「最近見た映画は?」と聞かれるかもしれないと思ったんだったか。面接練習でそういう質問があったんだったか。映画を見ないので、その時に映画館で放映してたもので、面白そうだと思うものを見ることにした。さすがにアニメ映画ではダメだと思ったのか、当時興味もなかったベン・スティラーの「ナイトミュージアム」を見ることにした。

映画館まで父に車で送ってほしかったので、ひとりで映画を見に行く旨を伝えると、何故か父も一緒にみたいと言い出した。アニメ映画を見る時はいつも母と一緒だったので、父と映画館に行くのは初めてだった。父は態度に出さないようにしてたかもしれないが、あからさまに嬉しそうだった。高校生にもなった自分が、父と一緒に洋画を見てあげることで父をウキウキさせてるんだと思うと、ものすごく気恥ずかしかった。

最も気まずいのは、映画が始まる前の、CMもまだの、劇場の椅子に座って館内が暗くなるのを待っている間だった。父は陰気ではないがおしゃべりな人ではないし、僕は陰気だしおしゃべりな人間ではなかった。最近学校はどうだ友達はどうこうみたいな話は、行きの車の中で話尽くしてしまっていたので、映画館で並んで座った途端、お互い無言になった。

父との無言が耐えきれなかったので、僕は、面白いかなこの映画、みたいなことを言った。父も面白そうだと思ったから着いてきたんじゃないのか。「父さんは、コレ見たかったの?」と聞いたら、別にと言われた。「なんで博物館の展示物が動くの?」とも言われた。知らないよ。今から見るのに。父のほうからも、「なんでコレ見たいと思ったの?」と同じような質問を返されて、僕も「別に理由はないけど……」と言った。

当のナイトミュージアムは、正直、かなり微妙だと思った。いや、だいぶまろやかに言ったな。ハッキリ言うとそんなに面白くない。しかも父と子の映画だった。僕は少し、舌を噛んで死にたい気持ちになった。高校生にして父と初めて映画館で観た映画が父と子の話なのはキツすぎる。前情報をもう少し得るべきだった。

一応、自分の感想は伏せて父に感想を求めると「うーん……」みたいなことを言って、違う話題を差し出されたから父的にもあまり面白くないと思ったのか、父も、映画が父と子の物語だったことにどう触れるのか悩んだのか。触れないでくれてよかったと思う。父と映画館で映画を見たのは、今のところ、それ以降はない。

 

あんまり面白くなかったけど、ナイトミュージアムにはそういう思い出があるので、のちにナイトミュージアム2も見た。2もあんまり面白くなかった。ベン・スティラー映画で言うと、そのまたのちに、LIFE!という映画を見て、あんまり面白くないと思った。そのまたまたのちにズーランダーという映画を見て、ようやくベン・スティラーへの評価が好転する。ベン・スティラーの出ている映画は、そんなに面白くないと思ってもなんか見てしまう。ベン・スティラーをジャケットに見かける度に、父と映画を見た時のことが脳裏に浮かぶので、手に取ってしまうのだ。

ジム・キャリーが引退してしまうなら、ベン・スティラージム・キャリー的なものを求めたいと思ってベン・スティラーのことを考えていたのだけど、こうして思い返せば結構毛色が違うな。ズーランダーのベン・スティラーの印象が強すぎた。やっぱりジム・キャリーには引退しないでほしい。脚本によってはまだやる可能性はあると言っていたので、その時こそ、ヨボヨボの老体で出演して、撮影現場で死んでほしい。

 

読まなくていい

眠れなくて、昔のことを考えている。

いま、憂鬱感が強いから過去のことを考えている。仕事は不満がありながらも今までで一番仕事がしやすい環境だとは思っているし、引っ越してからは生活も充分すぎるほど幸福だが、後ろ髪を引かれるように鬱屈とした感情に引っ張られるし、僕もそのわだかまりに甘んじている。同居人がタナトスはいつも見ているという話をしていたが、本当に……どうしてこうも離してくれないのかわからんけど…………

 

昔のことを考えていると書いたが正確には考えてない。過去が脳内で早送りみたいに再生されてるだけで、別にそれについて何かを考えているわけではない。僕は憂鬱が強めな時はいつも過去を反芻する。僕の憂鬱感には理由がないので、憂鬱に理由をつけたくて過去から理由を探してあとづけしようとしている。あとづけしやすい過去などいくらでもあるが、いくらでもあるので持て余していて、たいてい過去を再生するだけしていつの間にか眠っていたりする。

そういう時に思い出す過去はしんどかった過去なので、憂鬱になるたびに繰り返し再生しているがために思い出の中でも忘れにくくなる。案外僕以外にもこういうことしてるひとは多くて、楽しかったことはすぐ忘れちゃうけどつらかったことはいつまでも覚えていると言われるのはこういうことなのかもしれないと思う。いやでも違うかもしれない。こう、僕は、自分の考える当たり前を万人に当てはめたがる。

 

今日の憂鬱の感じは、なんだかあまり過去のしんどかった記憶と紐づけしづらい。

理由もない憂鬱のくせに生意気だと思うがそういうこともよくある。そういう時にこういうブログ書いてる……高校生のころから…………インターネットに慣れる前まではノートに書いたりしていた。昔からやってることはあまり変わらないんだなとおもう。子供の頃は自分のそういう感情や行動を説明しづらかったけど、今日初めて言語化できたなと思う。それか、できたつもりになってるだけかもしれない。

 

みんな嫌い。

(読まなくていい)ポケモンと僕

ポケモン公式が激激エモエモな動画をアップしていたな。ポケモンオタクの走馬燈と言われていて膝を打った。老人なので思い出話をしてもいい?いいよ。


【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

 

走馬燈といっても僕が最後にポケモンやったのはサン&ムーンまでで、サン&ムーンも最後まで走れてない。マップ上のキャラクターが二頭身じゃなくなったのが少々心にダメージを与えた。ブラック&ホワイトもクリアはしたが鬱病期にやったので記憶に残ってない。なんかしっくりこないとモヤモヤしてたうえに私生活もグズグズになったので手が止まってしまったので、僕もポケモンを卒業する時期かと思って剣盾の世代からは購入もせずに横目で見るばかりだった。

しかし剣盾以降、ポケモン公式からのプロモーションがエグイ。心が離れていきそうなファン層を呼び戻すすべを熟知している。郷愁のエモさに引っ張られ続けて剣盾の購入を検討している。ほしいほしい~

 

僕が初めてポケモンに触れたのは幼稚園児の頃だった。まだゲーム機を買ってもらったことがない。友人のひとりに金持ちがいて、幼稚園が終わった後にいったん家に帰り、持ってきたのがゲームボーイポケモンの赤版緑版だった。みんなでその子を取り囲んでゲームの様子を見ていた。ポケモンのアニメもまだやっていなかった頃だ。ピカチュウは当然主役じゃない。当時はドット絵も粗が目立ったが、僕たちは満足した。ポケモンというものは総じて怪獣のようなデザインなんだろうと思った。

プレイも幼稚園児にとってそんなに難しくない(と思った)。操作はAボタンかBボタンばかり使うので単純だし、ポケモンを捕まえる、戦わせるというシステムも明快だった。

しかし通信交換というシステムがまだ全然浸透していなくて、友人はよくわからないまま赤版と緑版を買い、後に出た青版も買い、「内容が全く一緒だから」と僕に青版をくれた。僕が初めて手にしたゲームソフトはポケットモンスターブルーバージョンだった。

しかしゲームボーイがないので親にねだり、友人から青版をもらってから結構経った後に買ってもらった。そのころにはもうゲームボーイカラーが登場していた。どこを回っても売り切れで、ポケモンのソフトも当たり前のように無かった。友達から青版もらえてよかったと思った。

ゲームボーイカラー那覇ジャスコにだけ残っていて、さすがジャスコだな~と思った。マゼンタピンクしかなくて色が嫌だったんだけど、仕方ないと妥協した。その時、店員にゲームソフトも一緒に買うよう推し進められてしまった。子もゲームのことをよくわかってないのに親にもわかるはずがない。店員に言われるがままにその時に買ったソフトが、もんすたぁ☆レース2だった。1もやってないのに。「1やってないですよ」と店員に訴えたら「2からでもわかる」と押し切られた。押し切ってもらって大感謝である。もんすたぁ☆レースは名作。

 

話が脱線したが、僕はようやく家で僕だけのポケモンを育てられるようになった。まもなくアニメも始まり、今の鬼滅の刃ブームの何倍もポケモンはブームになった。CMもたくさんやっていたし、少年漫画誌でも少女漫画誌でもスピンオフ漫画が出たし、CDもたくさん出たし、ぬいぐるみもバトエンもメンコみたいなのもメダルみたいなのもいろんなおもちゃが発売された。

小学校にあがっても、友達のあいだではポケモンいえるかなを全部歌えるやつが偉かったし、バトエンやメンコみたいなのをいっぱい持ってるやつが偉かった。僕も人形やおもちゃをいっぱい集めた。特にぬいぐるみとポケットピカチュウ(あと関係ないけどたまごっち)がお気に入りで、キャンプに行くときにも持って行って、お気に入りだった割りに子供特有の扱いの雑さでホイホイいろんなところに置き忘れて、「なくした!」と言って泣いてるとおもちゃを隠し持っていた親が家についたあとになって「魔法で呼び戻した」と言って僕に返してくれた。子供の頃はまじで親は魔法使いなのだと思っていたが、今思うと意地が悪い。すぐ返してくれ。

 

64を買ったのもポケモンスタジアム64をやるためだった。テレビゲームはそれまで怖くて触ったことがなかったので僕はファミコンをやったことがない。

64を買った時もマリオパーティーを押し売りされた。買った。

アニメもずいぶん熱心に見た。映画館で映画を見るのはミュウツーが初めてというわけではないが、映画館で大号泣したのはミュウツーの逆襲が初めてだった。

僕らの世代は僕だけではないと思うが、ポケモンと一緒に初めてを歩んだ人も多いと思う。

あんまりこういうこと言ってはいけないが、絶対に当たらないので言ってしまうけど僕が銀行やもろもろに使っている暗証番号は、ポケモン金銀のライバルにつけた名前を数字に置き換えたものだったりする。人生に寄り添いすぎてる。

 

ずっとポケモンやってきてたのに、新しいポケモンがそういう自分の初期の思い出とかけ離れていくのが少し嫌だった。ただでさえ大人になっせいなのか感性がボロボロになってるのか、例にもれず新しいものをすんなりと受け入れられる脳みそのスペースがあまり開いていなかった。どんなポケモンがいるのかとか、おおまかなストーリーはどうなのかというのは頭に入れるようにはしていたが、もうキャラクターの名前を全員は言えないし、ポケモンの姿を見てパッと名前を出せるのもシンオウポケモンまでだ。

元々ゲーム自体がそんなに得意じゃないし、園児のころはAボタンとBボタンさえ押してれば満足にプレイできてたところを、持ちものやら夢特性やら何やら複雑なことを考えなくちゃいけなくなってきたのも容量の足りない脳みそにはしんどい。

繰り返しになるが、もう潮時だろうなと思った頃合いに公式がグーパンチしてくるからぎゃふんと言うしかない。クソデカ感情を煽ってくるな。

 

あの動画の何がイイかというと、個人個人、「このカットがいちばんイイ!」と思ったところがきっと「自分がいちばんプレイした世代のシーン」なんだろうと思うんですよね。いろんな人の思い出に爪痕残してるの本当にすごい……すごいよな。

そういう企業努力にもっと服従したい~~仕事やってないでポケモンやりたいよ~っていう話。

犯人は不安

不安で死ぬ。不安に殺される。

眠れん

 

最近の不安は、生きながらに身体中が腐って、デロデロになって死ぬこと。

近いうちに身体が全部腐る。

コロナ自粛のせいで体が腐る。マスクしてるところから腐る。

 

マスクしてなくて、自由に行きたい場所に行けるのが、気にしないで行けるのがもうどんなんだったか忘れた。忘れっぽいので。

主に皮膚だが、体がダメになってる気がするけど病院に行くのは憚られる……。

腐ってる気がする……。

夏であることも悪い。エアコン……涼しくしてくれるが、あそこから悪いものが吹き出ている。僕を病気にさせる。殺すだろ。腐っていく気がする……。でもつけないと暑いので腐る……どのみち腐るなら涼しいほうがいい。

 

不安感で死にそう。実際殺される。主に皮膚だが、腐ってる気がする。微熱が5日続いてる。だるかったから熱を測って微熱がたまたま発覚しただけで、もしかしたらいつのまにかもうずっと前から僕の平熱は37度台になってたのかもしれない。なんだそれ大丈夫なのか?死ぬのか?実際体が熱い。エアコンをつけてても暑いことがある。でも寒すぎると思うこともある。なにかおかしい気がする。寝ろ。

 

全然眠くならない。おかしい気がする。

今日みたいに不安感が強い日もあるがだいたい元気なのでそれもおかしい。不安感が強いほうが、つらいではあるけど正常な気がする。不安があって正解な気がする。心身ともに病気です、って自覚するほうが当たっている気がする。皮膚が腐ってる気がするし実際血が出る……家が汚い。家が汚いから僕たちみんな不衛生だ。本当に嫌だ。本当に嫌だ。もう住みたくない。早く家を出たい。

僕は今の家が汚いのを間取りのせいにしてるが引っ越しても家が汚くなったらどうしよう。無理。死ぬのか?家が暗いから憂鬱になっていると思う。僕はこの家が全く好きじゃない。同居人に色々引っ越したい理由を話したが、根本的に好きじゃない。ここに住み始めた頃から一度も好きになったことがない。住めば都なんて嘘だ。この家自体が僕の心身をダメにしてる気がする。家という建物がストレスすぎる。早く引越したい。外で幽霊の声がするし。本当に。なぜ同居人には聞こえないのか。ずっと昔から声がするのに。あと換気が悪い。埃を吸って生活してんだぞ。体内に入ってくる。肺の中が埃だらけになっていそうな気がする。蓄積する埃。本当に無理。なんでこんなに段差があるのか。意味がわからん。必要だったか?設計士をクビにしろ。30年前に建てられた家だが。

 

不安すぎる。死にそう。身体中に悪いものが溜まってる気がする。はやく引越したい。体が元気になりたい。呪われている気がする。この家は好きじゃない。早く幸せになりたい。本当にこの家が嫌いなんですけど、もう引っ越せる。早く引越したいな……引越し作業頑張ろう。ポジティブになってきた。寝よ。

イマジナリーフレンドの話

小学校中学年~高校の受験前くらいまで、イマジナリーフレンドがいた。

いちばん多い時には7名くらいのイマジナリーフレンドがいて、よく僕の脳内で「会議」をしていた。たいてい、僕を励ます方法を考える会議だった。

僕は小学校中学年くらいから小説を書いていたので、イマジナリーフレンドたちはその小説に出てくる登場人物だった。ただ一人だけそうじゃない男がいて、彼だけは設定(?)も他のキャラクターとは違い、僕が考えそうにない感じの人物像だった。そのため、他のイマジナリーフレンドのことはイマジナリーなフレンドだと自覚してたものの、彼のことだけは、マジもんの、「見えないけど実在する人間」だと思っていた。

 

実際の彼は、愛知県だか兵庫県だかに住んでいると自ら言っていた(どこだったか忘れてしまった)。生霊のように意識だけを飛ばして、心がしんどいと思っている子供のところに行っているのだと言った。年齢はその当時23歳で、僕が歳をとる度に彼も歳をとった。他のイマジナリーフレンドは歳をとらなかった。

また、僕の脳内にはイマジナリーフレンドが常駐していたが、彼だけはいる時といない時があり、むしろいないことのほうが多かった。

基本的にテンションが高くて馬鹿みたいで面白くないジョークを言う男だったが、時折、数秒だけ、憂鬱そうな気だるそうな顔をした。他のイマジナリーフレンドは僕の考えたことを通して喋っているので思考も読めたが、彼だけの思考は読めなかった。

映画の話や小説の話や学問の話など、僕がわからない話もよくしてくれた。だから僕は余計に、その男の実体は現実にあるのだと確信していた。

 

道化みたいな男だから僕は彼を日々馬鹿にしたりして交流を楽しんでいたが、小学校6年生くらいの頃のある日突然、「お前はだいぶ元気になったから、もういいな」と言って、脳内に現れなくなった。

他のイマジナリーフレンドは消えなかったが、中学校にあがると、増えたり減ったりしながらもどんどん数が減っていった。彼らのことはだいたい忘れてしまったが、小学6年の頃に消えた男のことは今でも鮮明に覚えている。

 

高校の受験期まで、最後まで残っていたイマジナリーフレンドはひとりだった。中学の頃いちばん書いていた小説の主人公だった。彼は自身のことをイマジナリーフレンドだと自覚していて、よく、「俺の発言はおまえの発言に過ぎないからあまり頼らないでほしい」と僕を諭していた。

僕は自分がダメになった時に自分を励ましてくれる存在がどうしても必要だったから、そうやって自キャラに突き放されつつもイマジナリーフレンドを手放すことはできなかった。

ちなみに小6の頃に消えた特別なイマジナリーフレンドの名前は「新見さん」というのだが、僕は何度も新見さんに戻ってきてほしいと心の中で懇願した。

彼が消えた頃よりも、中学高校のほうがつらいことがたくさんあった。最後まで残ってくれた自キャラは励ましてくれないから、新見さんに戻ってきてほしい、つらい子供を助けてくれるんじゃないのか、どうして、と思ってめそめそ泣いた夜もある。そのたびに自キャラのイマジナリーフレンドにそんな子供っぽいことを考えるなと馬鹿にされた。その馬鹿にする声はもちろん僕自身の声だ。それを自覚しろとも言われた。自キャラに。面白いな。

 

どう懇願しても、新見さんが再び現れたことは今日この日まで一切無いのだけど、大学一年の時に出会った男が彼の雰囲気に似ていたので恋をした。後にそいつは恋人になるが、恋人にもそう伝えてある。きもいので。大学1年生が、2つ年上の恋人に、ラブホでのセックス後のピロートークで、「おまえは昔僕が飼ってたイマジナリーフレンドに似てるから好きになった」って言うか?ふつう。言った。こわい。こわいな~~~……

 

今でも眠れない夜にひとりきりだと、新見さんのことを思い出す。今日も思い出したからその話をした。彼は僕と一緒に歳をとってたから、今は40歳だろう。めちゃくちゃおじさんだなと思って面白いけど僕ももう人のことを言えない。

 

非科学的すぎるし子供っぽいけど、僕は今でもわりと本気で、彼はどこかで実在していたか、もしくは複数の子供の精神に共通認識として現れる幽霊みたいなモノだったと思っている。そうでないと、僕が知らない知識をただのイマジナリーフレンドが話せる理由がわからない。

一方で、実在してなくてもいいとも思う。時折見せてたあれは、相当な厭世の顔だったと今では思う。